キューバとアメリカは現在では国交が回復し、両社の関係は以前よりもずっと良好となっています。しかし、歴史を振り返ると、キューバとアメリカには多くの対立があり、その1つとしてラジオがあげられます。
本記事では、キューバとアメリカのラジオ戦争について紹介します。
キューバ、アメリカのラジオの歴史
キューバでラジオ放送がはじめったのは1900年初頭のことです。キューバの国内においてラジオシステムはアメリカの放送局によって確立され、キューバでの初めてのラジオ放送は英語で行われました。キューバでラジオ放送が始まった際には、両社の関係は極めて良好な状態にありました。
第2次世界大戦がはじまるとアメリカはナチス放送に対抗するために、Voice of America(VOA)を設立しラテンアメリカでの放送を強化していきます。しかし、アメリカとキューバの政府間の間で徐々に亀裂が生まれ始め、アメリカによるラジオ放送が問題視されるようになったのです。これにそしてを通じて、アメリカにとって都合のいいで政治的思考が広められるようになったからです。
その後、ラジオ放送はキューバ革命のために使用されるようになり、アメリカによる放送が少しずつ減っていってき、最終的には禁止されるようになったのです。
これにより、アメリカとキューバの間でラジオを巡って論争が起こるようになってのです。
ラジオマルティとラジオタイノの誕生
1981年9月、レーガン政権によってアメリカの新しい放送局、ラジオマルティがVOAによって設立されることが発表されました。
ラジオマルティはキューバで放送されているラジオの誤りを正すことを目的としており、その内容にはキューバ内の文化、歴史、政治など幅広いテーマが含まれていました。これがアメリカとキューバのラジオ戦争の原点でもあります。
そこでアメリカのこのような行動への対策としてキューバが立ち上げたのが、ラジオタイノという放送局です。そして、ラジオタイオノはキューバに民主主義を広げることに成功し、キューバ国内での存在感を強めていきます。また、多くの視聴者を集め、ラジオマルティの存在を圧迫していきます。
その結果、これらの放送局の対抗は、アメリカとキューバのの関係を悪化させていき、ラジオ戦争が本格化していくのです。
キューバとアメリカのラジオの将来
今後どんなに両者が解決を目指そうと、すでにキューバとアメリカのラジオのしがらみは複雑であり、簡単に解決することができないでしょう。
ラジオ放送はキューバの政治や社会的思想に大きな影響を与え、ラジオはアメリカとキューバの戦争の一部でした。国交が回復した今、同じようなラジオ戦争が起こる可能性は極めて低いですが、歴史を振り返った際に、ラジオはアメリカとキューバの関係悪化の一因としてこれからも思い出されるでしょう。